まず、バーコードをかざす場所が分からない。ここか。ここではないらしい。角度を変える。反応しない。もう一度。ピッ。鳴った。心の中で小さくガッツポーズをする。この時点で、すでに1品目である。先は長い。
次に、袋がいるかどうかを聞かれる。「いりません」を押す。すると今度は「お支払い方法をお選びください」と言われる。現金、クレジット、電子マネー、コード決済。4つのボタンが並んでいる。普段どうやって払っていたか、一瞬思い出せなくなる。財布の中を見る。スマホを取り出す。やっぱり財布に戻す。
普段、私はそれなりに現代人をやっている。スマホで買い物もするし、知らないアプリでもだいたい触れば分かる。ところがコンビニのセルフレジの前に立った瞬間、その自信はきれいに霧散する。画面のどこを押せばいいのか、まったく分からない。
まず、バーコードをかざす場所が分からない。ここか。ここではないらしい。角度を変える。反応しない。もう一度。ピッ。鳴った。心の中で小さくガッツポーズをする。この時点で、すでに1品目である。先は長い。
次に、袋がいるかどうかを聞かれる。「いりません」を押す。すると今度は「お支払い方法をお選びください」と言われる。現金、クレジット、電子マネー、コード決済。4つのボタンが並んでいる。普段どうやって払っていたか、一瞬思い出せなくなる。財布の中を見る。スマホを取り出す。やっぱり財布に戻す。
ここまでは、まだいい。問題は、背後に人が並んだときだ。
気配を感じた瞬間、私の指は他人のものになる。押すべきボタンを押し間違える。戻ろうとして、なぜか最初の画面に戻る。焦る。もう一度やり直す。カゴの中の商品を、置く場所を間違えて、機械に怒られる。「商品を袋に入れてください」。入れてるって。入れてるんだって。
そのあいだ、後ろの人は何も言わない。何も言わないのがまた怖い。優しさが刺さる。私はうつむいたまま、額に汗をかきながら、たった3品の会計に格闘している。スマホでは3秒で送金できるはずの人間が、である。
なぜこうなるのか、少し考えてみた。たぶん、セルフレジは「失敗が公開処刑になる機械」だからだ。
スマホの操作は、間違えても誰も見ていない。何度でもやり直せる。だがセルフレジは違う。店内という公共の場で、後ろに列があり、機械が音声で失敗を告げてくる。「商品を戻してください」と、周囲に聞こえる声で言われる。あれは操作ミスというより、公開の指導だ。緊張しないほうが難しい。
店員さんが「大丈夫ですか?」と近づいてきてくれる瞬間の、あの複雑な気持ち。助かった、という安堵と、助けられてしまった、という敗北感が同時に押し寄せる。「あ、はい、大丈夫です」と言いながら、まったく大丈夫ではない。
思えば、かつて年配の方が券売機やATMの前で立ち止まっているのを見て、心のどこかで「大変そうだな」と思っていた。あれは他人事ではなかった。機械が変わり、作法が変わり、追いつけない場面が来る。順番が回ってきただけの話だ。私はもう、その入り口に立っている。
そして次のバージョンのセルフレジが導入されると、また画面の配置が変わる。慣れたと思った頃に、ボタンの位置が移動している。これはもう、一生続く戦いなのだと思う。