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「いつもの」が廃番になった日

「いつもの」が廃番になった日
全国

その日、棚にぽっかり空いた一区画を見て、いやな予感がした。いつもそこにあったはずの、あの一品がない。隣の商品で雑に埋められたその空白は、もう戻ってこないものの形をしていた。「いつもの」が、廃番になった日だ。

毎日のように買っていたわけではない。週に一度か二度、気が向いたときに手に取る程度の関係だった。だからこそ、なくなって初めて気づく。自分があれを、思っていたよりずっと頼りにしていたことに。いつでも買えると思っていたものほど、消えたときの喪失感が大きい。

最初は「たまたま品切れだろう」と思う。次の日も来てみる。やっぱりない。その次も、ない。だんだん現実を受け入れざるを得なくなって、最後はちょっとした覚悟を決めて、店員さんに聞いてみる。「あれ、もう……入らないんですか?」と。返ってくる答えは、たいてい優しくて、そして残酷だ。

悲しみ / 別れは突然に

商品の廃番に、お別れの挨拶はない。最後の一個を買ったあの日が「最後」だったなんて、その瞬間には分からない。もし分かっていたら、もっと味わって食べたのに。もっとちゃんと、お礼を言ったのに。気づいたときには、もう棚から消えている。コンビニの別れは、いつも事後報告だ。

そして厄介なことに、廃番になった途端、無性に食べたくなる。普段はそんなに執着していなかったくせに、手に入らないと分かったとたん、記憶の中の味が急に輝き出す。人は、失ってから愛しさに気づく生き物らしい。相手がコンビニのお菓子でも、その法則は容赦なく働く。

ごくまれに、奇跡が起きることもある。数ヶ月後、リニューアルしてしれっと棚に戻ってくる。再会の喜びもつかの間、ひと口食べて「……あれ、ちょっと味、変わった?」と微妙な顔になることもある。記憶の中の味は美化されているから、本物が追いつけないのだ。それでも、戻ってきてくれただけありがたい。文句は言わない。

結局、コンビニの棚は川のようなものだと思う。同じ商品がずっと流れているように見えて、少しずつ入れ替わっている。だから、いま「いつもの」と呼べるものがあるなら、それは当たり前じゃなくて、けっこう幸運なことなのだ。次に買うとき、心の中で少しだけ感謝しておこうと思う。たぶんすぐ忘れるけれど。

✦ きょうの結論 ✦
「いつでも買えると
思っていたものほど、
消えたとき、こたえる。」
── 棚の空白を見つめた人より

🌙 だから、いまのうちに

お気に入りがあるなら、当たり前に思わず、今のうちに食べておくこと。コンビニの棚は静かに移り変わっていく。きょうあるものが、来月もあるとは限らない。——という教訓を胸に、私はまた新しい「いつもの」を探しに行く。