家の傘立てに、ビニール傘が何本あるか、正確には数えたくない。たぶん5本。いや、6本かもしれない。どれも、急な雨に降られて「しかたなく」コンビニで買ったものだ。しかたなくの積み重ねが、玄関にちょっとした森を作っている。
雨が降る。傘を持っていない。最寄りのコンビニに飛び込む。レジ横、あるいは入口の傘立てに、透明な救世主が立っている。値段は見るまでもなく、だいたい想像のつく金額。迷っている時間がもったいないので、ほぼ反射でレジに持っていく。この一連の流れを、私は人生で何度繰り返してきただろう。
問題は、その傘が「家にもう何本もある」という事実だ。買っている瞬間は、そんなことすっかり忘れている。雨に濡れたくない一心で、目の前の一本に飛びつく。そして家に帰り、傘立てに差した瞬間、隣にすでに立っている同じような傘たちと目が合って、はっとする。「……またやってしまった」と。
分析 / なぜ毎回、買ってしまうのか
理屈では分かっている。折りたたみ傘をカバンに常備すればいい。天気予報を見て、降りそうなら持って出ればいい。それで万事解決するはずだ。なのに、できない。折りたたみ傘はいつもなぜか「きのう出したまま」机の上にあるし、天気予報は見たそばから忘れる。
結局のところ、コンビニのビニール傘は「未来の自分への信頼のなさ」を清算する商品なのだと思う。傘を準備できなかった過去の自分の尻拭いを、数百円で即座にやってくれる。便利すぎるがゆえに、私はいつまでも学習しない。コンビニは、私の計画性のなさで儲けている。
ちなみに、これだけ傘を量産しておきながら、肝心なときに限って一本も持って出ていない、というのが最大の謎だ。家には森があるのに、雨の日の外出時、手元はいつも空っぽ。傘は「家にいるときだけ大量にいて、必要なときにはいない」という、猫のような性質を持っている。
いっそ、めじるしになるキャラクターのチャームでも傘につけて、少しは愛着を持って持ち歩こうか——なんて考えたこともある。でもたぶん、チャームをつけた一本も、玄関の森に静かに加わるだけだろう。雨の日、私はまたコンビニに飛び込む。透明な救世主は、きょうもレジ横で待っている。
✦ きょうの結論 ✦
「傘は、家にいるときだけ
大量にいて、
必要なときには、いない。」
── 玄関に森を育てている人より
🌙 きょうも、レジ横で待っている
次こそ折りたたみ傘を常備しよう。次こそ天気予報を見よう。そう誓いながら、たぶん来週も雨に降られて、また一本増やす。森はきょうも、ゆっくりと育っている。コンビニのビニール傘は、私の計画性と引き換えに、いつでもそこにある。